ひろゆき「『多様性を認める』っていう綺麗事は結局自分たちの首を絞めるんですよ。多様性に理解がありますって言う人って相反する価値観があったらどうするのかっていうところに考えが及んでいなくて、単にオシャレで言ってるんじゃないかなって思うんですよ」







「多様性を認める」っていう綺麗事って結局自分たちの首を絞めるんですよね。

デンマークで豚肉が有名な地域があって、牧場でいっぱい豚を飼っているところがあるんですけど。

イスラム教徒の人たちが増えてきて多様性を認めましょうと。

彼らは「イスラム教徒なので豚肉食べないです」って言って、「給食に豚肉出すのは良くないよね」ってなって、給食に豚肉出さなくなったんですよ。

でも、それって豚肉を食べるという多様性を失うよねっていうので、その後結局デンマークの都市が給食に豚肉を出す法律っていうのを作ったんですよ。

なので。「多様性って受け入れるといいよね」みたいな綺麗事は皆さん言うんですけど、結局価値観が全然違う場合ってどっちも通すってできないんですよね。

例えば、僕はうんこを食う人と食卓を一緒にすることはできないってあるんですけど、死んだ魚の目をしている性格の悪いデブなひげなんとかさんっていう人がうんこ食いがちな人なんですよ。

うんこ食いがちな人が多様性で食卓の上にうんこ食いたいって言っても、いやいやお前と一緒に僕は食卓囲みたくないよってなる訳じゃないですか。

なので多様性で心が広いっていうのって、最近は「心が広い」っていうのと「オシャレ」が重なっている気がしてて微妙なんですけど。

多様性とかダイバーシティとかに僕は理解がありますよ的な体で、いろんな考えを受け入れますって言う人って結局のところ相反する価値観が来たときにどうするのかみたいなところに考えが及んでいなくて、単にオシャレで言ってるんじゃないかなって思うんですよね。

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